2013年6月22日土曜日

蓼科山はくものなか

先日深田百名山の一つでもある蓼科山(2530m)を登った。
登山口には立派な鳥居、ここは蓼科神社奥社への参道でもある。


七合目登山口
















蓼科山は成層(コニーデ)型火山に鐘状(トロイデ)型火山が噴出してせり上がってできた二重式火山で、
諏訪側から望む美しい円錐形の山容は「諏訪富士」とも形容されるほど。
雨の日に現れるスワフジグモの巣。嘘。




































だから馬返しからは単調な急斜面、将軍平から先の頂上直下の斜面はさらにゴツゴツ急傾斜
そして頂上は一面の岩の原。 火口中央にぽつんとある奥社。

星空の夜に来たいねえ。
奥社に祀られているのは
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)←天地開闢のとき現れた最初の神の1人
倉稲魂神(うかのみたまのかみ)←食物の神
木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)←山の神、富士山もこの方。怒りっぽい女神様
だそうな。
それはあとで知ったのだけど、
ここはなかなかおもしろかった。
 木の鳥居は平成 、ほこら自体は大正時代建立と記されておりでそんなに古いものではない

けれど、まず謎のパワーストーン。














大きな水晶とひすい?がほこらに供えられている。
明らかにこの辺りにある石じゃない。誰が何のために?

そして脇の観音?像。建立年不明。


















穏やかで柔和、長髪に見えるのだが、気になるのは手 。


















十字架に見えてしょうがない。
いわゆるマリア観音なのでしょうか。どうでしょう?
あとで関連資料がないか調べてみたものの見当たらず、
なぜここに…という謎が残ります。
もしかしたら、こんな山頂までは調べにこないだろうと
隠れキリシタンが運んだ、などと想像が膨らむ。

さらに調べてみる。
蓼科神社って何?
蓼科神社の創建は不明、元慶2年(878)には蓼科神としての記録が残っていて
明治8年に蓼科神社と改称される以前には、高井大明神、飯盛神、八王子権現、八塩権現などと云われていたそうな。

高井とは、高いところにある井戸という意味。
この山に降った雨は、地下にしみこみ、ふもとのあちこちに泉とな
ってわき出て、村々をうるおてくれます。村人はこの山の恵みに敬
意をもって高井大明神とあがめたのだそうです。



















 蓼科信仰はどうやら、山そのものをご神体と考える
古いふるい信仰のようです。

ほかにもこんなおもしろい記述が…

蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ。これが山を通る日には人々は山仕事をやめるという[1][2]山神信仰において、山神の祭日に山仕事をやめる風習がしばしば見られることから、このビジンサマも山神の類と解釈されている[3]

あかのびらびら











あおのびらびら
 見てみたい〜。ビジンサマはやっぱり美人様なのだろうか。コノハナサクヤヒメだし。

 はたまた
また寛政10年(1798)刊の紀行文「遠山奇談・とおやまきだん」(華
誘居士著)には、この山で落雷と一緒によく落ちてくる雷獣という
獣のことが出ているそうな。
それによると雷獣は、体毛は針のようで鳥のように口ばしがあり、
尾は狐のようで鷲よりも爪が鋭かったそうです。
地面の下の美人様
















この日はケモノに逢わなかったが
山頂には避雷針がたくさん立てられてました。

そしてこの話、 かつてこの山にもライチョウがいたという記録が江戸後期1834年
(天保5)成立の「信濃奇勝録・しなのきしょうろく」(井出道貞
著)にあるそうですがそんなことも関係してるのかな。
(しかし、1929(昭和4)年、博物学者の矢沢米三郎という人が調査
の結果、絶滅を報告、残念。)

小雨の中だったけど
いろいろおもしろいぞ,蓼科山。

帰り道、ニジを見た。



長野県神社庁より
玄松子の記憶
山旅漫歩゚
内山のワクワク見つけ隊



●●●●●だから、世界はおもしろい。●●●●●



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