2011年9月26日月曜日

鳥の島の種 2011.9.23

『鳥の島』という大好きな絵本がある。作者は川端誠さん。
「空にあこがれ、海のむこうにあこがれて、
毎年、毎年群れを離れて飛び立ってゆく鳥。
けれど、海は広く、力つきた鳥は沈む。
何百年、何千年。何羽も何羽も。
そうして沈んでいった鳥たちが積もって、いつしか島ができた。
ある年、その島で羽を休めることの できた鳥が
ついに夢をかなえる。その時…」
という物語なんだけど、
中島みゆきの名曲『二艘の舟』や『この空を飛べたら』にも共通する
他者から見れば無駄にしか思えないかもしれない精一杯な生き方、
強い願いは叶う、命をかけるほどの願いならばきっと叶う
という心ゆさぶられるメッセージが感動的。

おすすめです。ぜひ一度絵本を見てみてください。
この絵本は単なる絵ではなく、紙粘土のレリーフとして作られている。
立体感のある、非常に手の込んだもので、
作者川端さんの気迫がビリビリ感じられる。
実はnoomはこの絵本、原画展で実物を先に見て知ったので
さらに印象深く心に焼き付いているのだった。


そして限りない願いは、一つの奇蹟を呼び起こす。

…その時、大波が島によせ、鳥の島から、「大きなゆめのひとつひとつのかけらを空へふきあげた」

「過去の世界」が崩壊し、想いのすべてが天に向かって昇華していくクライマックスシーン、
バラバラと画面がパズルのように崩れ去る。
そのパズルのピースは一つ一つが鳥の形をして空に向かう。

前置きが長くなったが
そんなラストシーンを思い出させる不思議なものを見つけた。

細長くて茶色のイモ虫が枝先にぶら下がっているようだ。
一つ手に取り、少し強くひねったりつまんだりすると…











無数の鳥たちが現れる。

 そして風に吹かれて飛び立ってゆく。




鳥の正体はシラカバの種。
シラカバの種がはらりと分解しておもしろい、
というのは前から気づいていたが、
この前その種が鳥の形に似ていることを発見し、
「鳥の島」を思い出しうれしくなってしまった次第。


白樺の鳥たちは風に身を任せ、
いつか大きな木になることを夢見て
これからどこに旅立ち、
どんな未来が待つのだろう。

そんなところも絵本とつながっているかのようだ。

2011年9月23日金曜日

出現メカゾウムシ 2011.9.23

数日前のこと。
我が家では夜寝る前に絵本を読むが、そこにnoomが新登場させたのが「ぞうむし」の絵本だった。
翌朝はひんやり涼しい秋晴れ。いつもよりtooがなぜか早起きしてきたので2人で昨日散歩した場所まで行ってみることにした。
なぜかといえば、そういえばその場所にクズが茂っていたのでそこを探せばクズに集まるゾウムシが見つかるかもしれないよ、と絵本の読後に吹き込んでおいたのをtooがしっかり覚えていたから。

さてクズの前にはしゃぎながら到着して,よく見てみる。
内心朝早すぎて涼しいので、本体は見かけないのでは…ゾウムシ特有のはっぱのかじりあとや、今回絵本で知った産卵跡ぐらいが見つかればいいか,なんて思いつつ。


ガードレールに巻き付いたクズの茂みを一瞥してもやはり葉の上にはいなそうだったので、
さらに茂みに顔を突っ込むようにして見てみると…いるいる、マメカメムシがやたらにいる。
今書いていて気がついたが、マメカメムシは小さく特有のまるっこさがあり、豆っぽいカタチをしているからマメなんだとずっと思って来たが、
クズなどのマメ科に集まるからマメなんだろうか。
両方に掛けていたとしたらなんて的確なネーミングだこと。



さてさて、今日のターゲットはゾウムシ。
カメムシには触らないようにして探していくと…いたいた。
茎につかまっていたオジロアシナガゾウムシ。
絵本も出てきたシロクロハッキリ分かれたパンダのような体色が印象的なゾウムシだ。
  ぽろりと落ちないように気をつけつつtooに手渡すと
うれしくなったtooがうちに持って帰って飼ってみたいと言う。
「カレーもみたいって言ってたね。」
絵本を覗き込んだカレーが実物のゾウムシの口を機会があれば見てみたいと言っていたのを覚えていたようだ。
クズの葉っぱや茎があれば簡単に飼える、とこれまた絵本の中で紹介されていたのを覚えていたらしく、「葉っぱも持って帰る」としっかり採取しているtoo。
帰り道、茎に掴まらせたまま家までの道のりで、きっとぽろりと落としてしまうんじゃないかとnoomは心配していたけれど、大丈夫だったのは意外。
あとで茎から引きはがそうとすると前2対の脚で力強くしがみついていた。
が、さすがに引き離すとゾウムシらしくころりと擬死ポーズをとるのがかわいいのだった。

 家にてさっそく実体顕微鏡を使って覗いてみると…
カレーは口の先端部分がブラシ状になっていると思っていたらしいので、植物をばりばりと食い破れるように動く口吻の構造に驚いていた。
noomはくりんくりんと自在に動くボールベアリングのように丸い頭部(厳密に言えば後頭部、か)がカッコイイと思った。
鼻部分(本当は口)の途中の凹みにもそそられた。きっと脇に張り出している触角がぴったりおさまるんだろう。甲虫の腹部分やエビカニの目玉の部分と同じ機能美にそそられる。
脚はごつくて腕相撲が強そう感じ。茎を掴む2脚には中間にスパイクがついていてより強力にしがみつけるようになっているし、ニュートラルな曲げ具合で丁度クズの茎を抱きかかえられるようにサイズが最適化されている気がする。
たくさんの凹凸がある体表はお寺の鐘のような印象で、ゾウムシの「固くて丈夫」な特徴はこの表面加工にもあるような気がする。
体色もよく見てみると、2色のうち白はマット調だが黒にはビミョウにつやがあり、鳥のふんに擬態するこだわりが強く感じられるのが小気味よい。
拡大してよりハッキリしたのはゾウムシは「職人」という言葉が似合うということだった。
巨大にしたらスターウォーズにでもそのまま登場しそうな重厚かつ精緻なSF的デザイン。
これはカッコイイ。ゾウムシにハマる人がいるのもうなずける。
ゾウムシデザイン
日本産ゾウムシデータベース
オジロアシナガゾウムシについて

さっそくマネしんぼのリホチがケースからゾウムシを出して遊んでいた。
しばらく後、クズを口に入れようとするUFOを発見。
どうやら放置されていたらしい。この時、ゾウムシは見当たらなかった。
まさか後日おむつの中で発見することになるのか!?嗚呼!
と思いきや翌日無事に部屋の隅で発見された。よかったよかった。
この数日間、noomは巨大メカゾウムシ(四股を踏むようにがに股でゆっくり前進&両腕を前方に長くのばし、手はがしがしとこどもをこしょぐる&強い攻撃を受けるとごろんとひっくり返り静止、しばらくのち復活)
となって子供たちの敵役となって遊んでいる。

2011年9月16日金曜日

釜無キャニオン探検 2011.9.14

今日も夏が戻ったかのような暑さ。
丁度良いので前から気になっていたミニグランドキャニオンにでかけてみた。
「昭和57年の大雨によって釜無川国界橋下流に突然出現した1.5kmにわたる断崖に囲まれた渓谷で、出現当時は多くの見物客を集めた。だがしばらくして見学者に事故があったため、立ち入り禁止になり岸を重機で崩したりした」等と資料にあるが、現在はどうなっているのだろうか?
できたてキャニオンの資料

甲州街道沿いに細長く伸びている上教来石地区の山口という場所に関所跡地の石碑が建っている。そこに車を置いて川の方に向かう。
川岸までたどり着く道は無いので途中から完全に道なき道を突き抜けていき堰堤の上にやっとたどり着いた。堰堤のために土砂が堆積して広い河原になっている。先日の増水もすっかり収まって河原に残るのは痕跡だけだった。



ここから上流に向かって歩いてゆくが、基本的に水深は膝下ぐらいがつづき、河原の大部分は砂や小さい石ころばかりで大きな石は部分的なポイント以外ほとんど見られない。ここからの川の両岸はほとんど垂直に切り立った5~10m程度の垂直な壁が続いていて、V字谷ならぬ凹字谷。人家の近くのはずなのに、あたりはまったく人の気配がない。空は青空、つくつくぼうしが頑張って鳴いていた。




さて、浅瀬を伝ってざぶざぶと進んでいく。時折ヤンマが高速で飛び去ってゆく。岸の近くの小さなよどみには小魚が泳いでいる。
川を渡り返しながら2曲がりぐらい進んだところで崖の地層の中に珪化木があることに気がついた。

ちょっとここの崩落は小規模だけど新しいので少し緊張する。このあたりから川筋は2つに別れるが、少し水深が深まり流れが速くなったので緊張しながら中州に渡る。





この中州の終点は、
大きな護岸ブロックがごろごろと
転がっていて荒れた光景が広がっていた。
ここは谷が狭くなっているので
流れもかなり勢いがあり、
水音も大きい。


ここまでの崖は黄色っぽい堆積岩で、
ここから上流側は緑色に急に変わっている。
どうやらこの境目が糸魚川静岡構造線の露頭のようだ。





ここから先も谷は続いていたが、
ブロックの先は少し深い部分が多くなりそうだったのでムリしないでここで引き返すことにした。

帰りはライフジャケットの浮力を使って「ぷかぷかキック」を何回か試して見たが、見た目より結構流速があるのと、ほとんど浅瀬ばかりで緩急が無くスリルを感じた。リュックを背負っていなければもっと楽しめたかもしれない。

当時を紹介する写真と現在の様子と比較すると、歳月をへて崖の上には細々ながら緑が茂り、大量にもたらされる土砂で谷は埋まり削られ続けて、川は常に姿を変え続けているのが分かる。
短い距離だったけど、(多分)今年最後の全身川遊び。楽しかった。

お月見デート 2011.9.13

 本日は中秋の名月。
夕方、家の裏からススキを取って来て、月見団子とともに月の出を待つ。
こう書くといかにも風流な趣があるが実際には…
tooは風呂上がりからちっとも着替えない&月より団子のリホチは常に団子に手を伸ばそうとする&UFOは動き回って眼を離せない、なんだかんだでとても騒がしく月の出を迎えた。
まあ仕方ないか。
でも小さな窓の向こうに月を見ながらのゴハンはなかなか楽しかった。

夕食後、誘ったらリホチだけ散歩にいくというので2人で集落はずれの橋のたもとまでゆっくり行ってきた。
さすがに満月、月影が濃い。
人家の灯りが無くてもくっきりとまわりの景色まで浮かび上がって幻想的。
川の水面に月の光がキラキラキラキラ美しい。

この橋のたもとにはクズリュウさんがある。
これはなにかというと小さな祠で、水害防止の神様。近年の水害もこの場所まで濁流が押し寄せたものの、神様のお陰か防がれたらしい。そのため、今でも毎年地区でお供え物をしている。まだまだ信仰されているのは護岸工事がされた今でも水害の危険性は決して無くなった訳ではないからだろう。
月夜のクズリュウさん
あんまり明るいのでリホチと祠で記念写真。
キャッキャと常にかしましく動き回るリホチ。
さすがに竹林の陰に入ると道先は暗くていつもの通り道ながらかすかにドキドキする。
小さな手をにぎってゆっくりとあるいて家に向かった時間はステキだった。次の満月も晴れるといいな。

2011年9月13日火曜日

クズミズイロ

9/12 盛夏の頃書こうと思って忘れていたクズについて。
本日満月、秋の七草でもあるのでいいか。

夏、すべてを覆うかのような勢いで伸びてゆくクズ。
道端からぐんぐんはみ出してきていたツルの先端は、ごわごわした荒い毛が生えた生きもののようだ。
ある日なにげなくそのツルの先端をぽきりと折ってみた。
するとその切り口から、思いがけないほどたくさんの水。
先端はみるみる半円状に水がたまって来た。









 ちょっと驚いたのはその透明な水の中に白い成分がたくさん混じっていたこと。
極小スノードームのようでもある。きれい。





 暑い盛りだったこともあり、間もなく余分な水分は蒸発してしまうと、切り口には薄い空色の結晶のようなじゃりじゃりしたものが残った。
なんなんだろう?なにか成長に必要な糖分のようなものかと思いなめてみたが、意に反して非常に渋かった。
渋いことからすると、葛根湯の原料成分のようにも思える。
もしかすると「でんぷん」?それなら渋を抜けばクズ粉になるのだがこんなに簡単に採取できるなら苦労して根から取り出すことも無い気がする。
いずれにせよ,意外な薄水色が隠れていたことに驚いた。
この色は強いていえばクズの葉裏の色に近いかな。

さらにささやかな発見があった。
野遊び用にクズの葉柄をポキリと折り取っても、ツルの先端以外をちぎっても同じく吹き出さない。
水は吹き出さないし、クズの爆発的成長力は実は全身均一ではなくて、先端に集中させているらしいことが何気ないイタズラから伺い知れた。

おまけ:「葛」の語源は「屑」と同じなのかと思い調べてみた。葛の語源は葛粉の産地がかつて奈良の国栖(くず)だったからとウィキペディアにあるが、葛が採れるからそう呼ばれたのかもしれない。
一方、屑は「必要の無い役に立たないあまりもの」の意とある。
確かにクズのこの繁茂ぶりをみるとそんな一面もあるかもしれないが、役に立てなくなったのは多分近現代のことのはずで、根から葛粉・葛根湯、葉は飼料(ウマノオコワ・ウマノボタモチとの異名があるらしい)、蔓は撚って作業用ロープ、編んで篭に、繊維を取り出して葛布に使われていたりと、農村では様々に活用されていた。
何気ない自然も謎は深まるばかり。
ウィキペディア「くず」

2011年9月11日日曜日

カワノチカラ

9/9 台風12号は、ここ山梨でも随分な雨をもたらしていた。降った雨はその後、川に注ぎ込んで増水させる。通勤時にいつも通る橋から見たところ、ピーク時で100センチは水位があがったようだった。
その後、ようやく水量が落ち着いて来たので、夏もたびたび遊んだ河原に向かった。
すると、いつもはススキにびっしり覆われた川への道がおかしい。
道が白くて広い。なんと道が川筋になっていたのだった。
しかもススキを川下方向に倒すだけでなく、まわりのニセアカシアも何本も倒れていた。
白いのは大量の砂が運ばれ、残されたから。
いつも車の天井にぶつかるニセアカシアの枝が、腰を屈めてくぐり抜けるくらい随分低い位置にある。
ということはその分土砂が積もったのか、木が傾いたのか?さらにすすむといつもの道は倒木で完全に塞がれたので脇から川岸にでると、
景色が一変している!まだ水は白く濁り、いつも車を止めていたスペースは、無くなっていた。
かろうじてそのすぐ近くにあった中州の柳の位置から、本流が大きく手前に移動したことが読み取れる。
ここはすぐ上流に堰堤があるため、普段は水の流れも穏やかなのにこの状態。
いやむしろ普段穏やかなために、たまっていた砂が岸を広く構成していたということか。
砂の上ならニセアカシアも簡単に倒れる訳だ。
こどもたちも広くなった川の流れに、水の脅威を感じることができただろうか。
なんとなくでもすごいなーということが伝わればいいけど。
いつもと違って10日現在でもまだ川の濁りはとれない。
でも水が減れば、またちがった表情を見せてくれるのだろう。
楽しく、コワい、すごい川の力を知りつつ来年も遊びに行きたい。

2011年9月8日木曜日

自然のかたち、紋付あそび 2011.8.24

以前から個人的に興味ある,日本の家紋のデザインワールド。
誰でも知ってるこんなものから、驚きのあんなものまで、様々なものがデザインに取り込まれているが、なかでも大きなジャンルが花鳥風月のモチーフ。
八月半ばに大学生たちと自然の紋作り体験をやってみた。
新しいネイチャーゲームの一つとしても取り入れられているようだけど概要でいえば、
1、まず自然の中から興味あるものを一つ選び出し
2、次によく観察して
3、それを紋に表現する
4、みんなで作品を鑑賞する、そんなあそび。



出来上がったたくさんの紋を見ていると、同じ対象を扱っていても、個々の注目する点と美意識によって無限のバリエーションが生まれることに特に気づかされる。
紋として象徴化普遍化されてるはずなのになぜか個別化して見えるところがおもしろい。
出来上がった紋が表すのは「グループとしての自然」ではなくて、「作者」と「対象とした自然」二つの個だ。

ステキな紋作りのコツは
・じっくり対象を観ること
・観察結果から対象の特徴をシンプル、大胆に表現すること。
・描く時には太いマジックだけ用意しておくのもクッキリハッキリさせやすい。
小学生くらいの子供対象でもおもしろそうだが、大人を対象とするなら、慣れて来たら複数の素材を組み合わせた紋や、少しヒネリを効かせた「判じ紋」にしてみてもおもしろいし。
個人的には紋名を、例えば「丸ニ松笠親子蝶紋」などとそれらしく名付けるのも楽しい。
発展として紋切りあそびにつなげたりすれば、半日~一日、たっぷりとあそべる野遊びプログラムにできそうだ。

植物紋などの自然をデザインした紋が発達した背景には、やはり四季の変化のはっきりした日本ならではの特質と、
それを注意深く観察&活用しながら暮らしてきた歴史があるからでないかと実感できる。
そしてゲームをすすめる中でふと気づいたもう一つの別の事実は、
日本人の「名前」の中にも実に多くの「自然」が取り込まれているということ。
よく考えれば名字と家紋はイコールなので当たり前と言えばその通りなのだが、名字だけでなくイマドキの名前にも頻出している。

漢字やことばそのものも、まさにイメージそのもの。自然とイメージの関わりの世界は奥深く、それを読み解いたり組み立ててゆく作業は、とてもわくわくする。

奥飛騨ゆく夏くる秋 2011.8.30

 8月末は友人家族とともに、北アルプスの麓、奥飛騨温泉郷にて子連れでは初めてのキャンプを楽しんだ。
キャンプ期間中はこの夏後半の不順な天候状況にしては奇跡的ともいえる好天が続き、
こどもたちは終始はしゃぎ、大人たちは終始しゃべったり食ったり酔ったり浸かったり(キャンプ場内徒歩1分に温泉がある)と、まったりした休日を過ごせたのだった。

個人的ハイライトはキャンプ場脇を流れる川あそびでのこと。
まずは川の中にある「底に空間がありそうな石」を捜し、石の下をそっと手で探ってみる。
探すこと5分少々、隙間のなかでそっと手を動かしていくと固い石、細かい砂利の感触ともちがう柔らかいものに触れる。
なにか魚がいる!
ゆっくりゆっくりと体勢を変えて魚をそっと手のひらで包み込むようにしてつかみどり成功!
ドキドキしながら手を引き上げるときらきらと光っていたのは胸の黄色も美しい、手の平サイズの鮎だった。
えっこんな冷たい上流で鮎なんだという驚きとともに、さっそく得意げに見せにいくと、それまでオタマジャクシ級を探していたtooたちもビックリしていた。
noomもなにしろ方法論としては知っていたものの、実際に捕まえることができたのは初めての体験…
鮎君はさっそくリホチに掴まれご臨終し、夕飯のおかずになった。

その日、そして次の日も少し上流にて「2匹目のドジョウ」を狙ったけれど、これがなかなかなかなかまるでいない。
時折水中眼鏡でも覗いてみたが、稚魚すら見かけない。
やはり冷たい澄んだ水には魚たちも住みづらいのかな。
でも手当り次第に石の下に手をのばすことで、
全体としては激しい流れでも意外に石の下には流れの落ち着いた薄暗い大きな空間があったりして、そんなところが魚にとっても落ち着くんだろうな、
なんて水中の世界が少し手から伝わってきた気がした。
こんなに躊躇無く穴に手を突っ込めるのは川ならではの醍醐味だと思う。
海ではとてもこんなことはコワくてできない。
今回の鮎ゲットは偶然の幸運も多々あったと思う。
なにしろ川遊びの初っ端のできごとだった。
でも、tooたちにとってはこれまで絵本の中のできごとだった
川で魚が本当に獲れる。しかも手だけで獲れる。というのを間近に見たのはインパクトがあったらしく
一生懸命真似して探していた。
大人もこどもも川に向かっていた時間は魚自体は見つからなかったものの、ほんとにうれしかった。
捕まえようと静かに熱中してる時間が共有できてうれしかった。
いつか捕まえて欲しい、捕まえる時のドキドキを味わって欲しい、自分のチカラで。

追記:最終日、真夜中の午前3時、見上げると満天の星。場内の温泉入口、足下で光るヘイケボタルを見つけた。
こんな時期にもまだいるんだという驚きとともに よわよわと光るホタルに夏休みの終わりを強く感じた。
入浴後、夜空に星は消えていた。

なつはかなかな 2011.7.17

 本日だと4時20分。
我が家の周りでもかなかなかなかなかなかなかなかな…
夏の晴れた朝はヒグラシの合唱からはじまる。
たくさん鳴いてるにもかかわらず、不思議に涼しげな音。
単調なはずなのになぜか耳障りと思えないのは、何故なんだろう。
それから2~30分でヒグラシの朝は突然終わる。
ぴたりと聞こえなくなると入れ替わるように他のセミが鳴き出し、暑い一日のはじまりという感じになる。

そしてじりじり暑い夏の午後、わき上がる雲が太陽を遮ると日差しが陰り、
すーっと空気が涼しくなるとヒグラシが歌いだす。
激しい夕立とは対照的に、降りそそぐ音の夕立はやさしい。

ヒグラシはずっと「日暮らし」と書くのだと思っていたし、それが一般的なようだけど、
よく考えてみるとちょっと違和感。
「日暮らし」だと「朝から晩まで」つまり一日中という意味になる。
そうではなく、(朝まだ)「日暗し」なんだろうな。
もしくは「日暮れさす」声なのかな。

ヒグラシのはかなき声は薄暗がりと共にありけり…とても日本的カナ(詠嘆止め)。

やまとなでしこ七変化 2011.8.15

 随分経ってしまったが 7月末、世間ではなでしこJAPAN優勝に湧いていた、らしい。
カレーもその実況をライブで見れたとコーフンして語っていた。
そんなこともあり我が家にもついに地デジが導入された。ま、それはさておき

サッカー関連の番組にて、なでしこつながりで、
なでしこの語源とは、「子を撫でる」ようにかわいらしい花の様子をしているから
というテレビの解説者の一言に強い引っかかりを感じた。
本当にそうなのか?それだけ?

ということで、まずはwikiで『やまとなでしこ』を調べると
『「撫子」とは撫でるように可愛がっている子、愛しい子、愛児』とあるが
noomが注目したのは
『「古事記(櫛名田比売)や日本書紀(奇稲田姫)に登場する女神「クシナダヒメ」の異名』でもあるという点。
クシナダヒメはヤマタノオロチ退治の説話で登場し、
『ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて櫛になる。
そしてスサノオはヤマタノオロチを退治後、クシナダヒメを妻とした』とある。
そして、『クシナダヒメが櫛を挿した巫女であると解釈すると、ヤマタノオロチを川の神、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある』とも。

以下noomの空想。
ナデシコのなかまの花の特徴と言えば、5枚の花びらの先端分がそれぞれ細く裂けていること(ただし裂けない種類も多い)。
これを昔の人は女性が髪を梳くアイテム、櫛に見立てたのではなかろうか
(ちなみにクシは「奇し」が語源で、イザナギイザナミの神話にも出てくるように古来より強い呪力、とくに別れを招く力を持つとされている)。
それにナデシコの仲間は生命力が強い。
茎から摘んで、それ を土に埋めるとそこからまた育つし、水をしばらくあげていなくて、完全に枯れてからも、また水をあげると茎と茎の節目から新たな葉を伸ばすらしい。
夏から秋にかけて常に咲く花なので別名「常夏」と呼び、源氏物語の巻名の一つにもなっている。

そういえば数年前にでかけた大井川鉄道の旅では、白い河原にそって鮮やかなピンクのムシトリナデシコが群生していた。
大水のたびに川筋の変わる、昔ながらの河原に可憐に咲き誇るナデシコ。
この姿と力強い再生のイメージ故にナデシコは女性とつなげられ、
「やまとなでしこ」という言葉が生まれたのかも知れない。

今回ナデシコの仲間にカーネーションであると知った。
そういわれて見れば葉っぱなんかもそっくりだ。
カーネーションと言えば「母の日」。やはり女性的イメージが強い。
ヨーロッパでは中世からの園芸ブームの中で、カーネーションはバラやチューリップ等と共に品種改良がすすんだ。
日本でも平安時代からナデシコは愛でられ、江戸時代にはカーネーションも渡来、そして朝顔等と共に空前の園芸ブームにより、ナデシコの新品種が次々つくられていったという。

ヤマトナデシコ七変化というキョンキョンの歌は実はこの園芸の歴史を下敷きにしている、のかも。

ことしのホタルは 2011.6.29


毎年恒例、我が家のホタル見物。
今年は先週自然観察会に参加したので2度目になる。
場所はいつものところ。ホタルたちは今年も元気に出迎えてくれた。
とはいえこども3匹も引き連れていくと、なんだかんだと騒がしく忙しくて、なかなかというか全然ホタルを楽しむ余裕が無い。
この日は帰ってスイカを食べてようやく落ちついた。

新潟にて、カレーと2人で静かにずっと見ていた夜が懐かしい。
いつかまたそんな時間が持てるのかしら。
あっという間にそうなってしまう気もするし、それはそれでちょっぴり寂しい気もする。
この辺りと違い、あちらでは源氏と平家の出現が重なっている時期があり、それがnoomにとってのホタルの原風景。
いつか子供たちにも見せてあげたい。

でもうるさくてもしんみりでも、蛍火に誘われ歩く夜のうれしさはずっと変わっていない。

007は死なない? 2011.7.7

我が家の庭にエノキの若木がひょろりと生えている、
この枝先に今年はずっとナナフシがいる。
3匹だったのが最近2匹になったと思っていたら、今日見たら4匹もいた。
気づかないだけで、まだまだいるのかもしれない。

ナナフシの記憶と言えば、
はじめて見たのは小学生の頃に実家の台所の勝手口の外、
壁にいた爪の先ほどの小さな小さな茶色のナナフシ。

そして家族で岐阜の渓谷に旅行に行った時、道端のとある木にいた大きな緑色のナナフシたち。
ここのは手のひらサイズはゆうにあった気がするが、なにより図鑑で見た憧れムシの一つを見つけたことに大喜び、しかもたくさんいたのでホクホクとたくさん捕まえた。
しかし、ビニール袋の中のたくさんのナナフシは…
家に帰る前にすべて死に絶えて臭かった悔しい記憶がある。

それから沖縄西表島では民宿の鮮やかな赤紫の花咲く植え込みに、すごく大きな一匹のナナフシを見つけた。
それはそのとき小さかったtooに近づけて、何がなんだか分からずあとずさるtooの姿を楽しんでいたっけ。

新潟では見かけた記憶が無いけど、山梨では時折林の中で羽根が生えているヤツも見かける。
木になるじゃなくて気になる虫なのだった。

小さい頃の虐殺への反省からか、見かけてもなるべくナナフシには触らないようにしている。
それは、ヤツラは枝先からワザと落ちるからでもあるが、なにより脚が簡単に取れてしまうからだ。
しかもこどもの頃の図鑑にも「脱皮により脚が再生する」とあり、そんなところがそこらに大量にいるバッタと差別化されていて、もう一つの特技、枝への変身術とともに不思議さを感じたものだ。

じっと動かないので、近づいてよく観るとナナフシなのに七節以上ある。
「ナナフシとは七節。七は数が多いの意味」とされているが、そうかなあ。
単純にナガフシだったのかもしれない。
さらにこじつけっぽく考えればフシは不死、手足がちぎれてもなお生えてきたり、死んだフリをする所に着目したネーミングだったのかもしれない。
さらにさらにフシと言えば付子、これはヌルデの虫こぶのことだけどトリカブトの根(附子)のことでもある。
しかも「ナナフシは毒虫である」というまことしやかな昔からの伝承が残っている地方もあるらしい!
真実はいかに!?(とはいえこれだけ対鳥作戦を進化させてる虫なので多分美味いケド。)

本日七夕なれど雨天なのでナナフシに願い事。「これからもたくさんの不思議に出逢えますように」

3ヶ月計画停電 2011.6.11

地震から3ヶ月、というわけで今夜は我が家の「テイデンの日」。
まずは夕飯をカレー自作のランプで食べたけど、外がまだまだ明るいのをあらためて感じた。もうすぐ夏至だものね。
そして、引き続きみんなで風呂に入って、着替える頃にようやくとっぷり暮れて来た。
このころからさすがに色々な活動が不便になり、あかりの力ってすごいなあと改めて思う。

暗いのでなるべく早く寝ようとする(早く寝させる手段として停電がある)のだが、
とはいえ子供たちはまだまだ暗がりが怖く、ライトの灯りをつけるのが楽しく、いろいろと興奮して完全消灯は20時すぎにずれ込んでしまった。

地震の記憶を忘れない、とか被災地の人々に思いを馳せる、とか殊勝な意図も含みつつ、
どちらかといえば「山登りの夜みたいで懐かしい」とか
「あー消灯を怖がりすぎててtooにはテント泊のチャレンジはまだキビしそう。」とか
「こんな夜もたまにはいいなあ」とか
「ツキイチイベントでネパールの日(食事を箸等使わず食べる)なんかもおもしろいなあ」と思っている自分がいる。
不謹慎?
でもまずはそれでいいのでは。
緊急時対策、我が家版シュミレーションは趣味レーションでいきたい。

銀の竜はさりげなく 2011.6.12

今日は午前中、地元の自然観察会に子連れで参加。
ふと見れば銀竜草が道の両脇にさりげなく咲いている。
これを見つける度に、「ギン…」「リュウ…」「さんはい!「銀の竜の背にのって~♪」と
中島みゆきの声が頭の中で響くのだけど、こんな身近にこんなにたくさんあるなんて見事。
白いチビ竜が地面からうじゃっと頭をもたげているように見えるのを、鏡を使ってそっと覗き込んでみたら、
花びらのの中は以外に黄色や紫で彩られカラフルだった。
無用に採らないための鏡だったのだが、
我が家で一番ワイルドなリホチがブチッと一本引き抜いてしまったので、せっかくだからと手に取ってよく見てみる。
すると今まで透明感のある白色とだけ思っていたが、よく見ればほんのり紫がかっていることに初めて気がついた。

観察会終了後、ネットでギンリョウソウを復習すると、
幽霊茸や水晶蘭なんてそれもまたぴったりの別名がついているのに感心したり、なによりツツジ目ということに驚いた。
周辺には所々にギンランやマルバノイチヤクソウも咲いていたが、これらは腐生植物。
ギンリョウソウは中でもキノコから養分を頂いているらしいため、中でも栽培不可能とされているらしい。
森が無いと生きていけない存在、森の中でさりげなくひっそりと、でも彼らなりのオリジナルな生活スタイル。
そんなところに強く惹かれた。

ギンギラギンにさりげなく そいつが俺のやりかた
ギンギラギンにさりげなく さりげなく 生きるだけさ。

甘味処むらさきや繁盛中 2011.6.24

昨日の夕方は家族そろって近所に桑の実を取りにいった。
この辺りは昔は養蚕地帯だったらしく、たくさんの桑の木がある。
それが今、蚕のために桑を育てている人はほぼいないため、どれも随分立派な大きさになり、鈴なりに実を付けているのだった。
…しかも他の人はだれも見向きもしない。

晴れていたがnoomは傘を持参した。
傘をひっくり返しておいて枝を揺さぶるとボトボトボトボトと景気良く実が落ちてくる。
この収穫の悦び感が楽しくてついつい桑の実バケツ一杯。
手や服が次第に紫に染まるのもなんだかうれしくなってくる。

じつはそこにいろんな虫たちも一緒に落ちてくるのが、昆虫採集みたいでもあり密かに楽しい。
アリ、カメムシ、ハサミムシ、小さなイモムシ、クモ、コガネムシなどなど…
みんなクモの子を散らすように急いで傘から逃げてゆく。ごめんね。
そうそう電線の上からの落とし物を見ればこの時期はしっかり紫色で、鳥たちも目一杯食べていることが分かる。
みんなで一緒に季節の恵みを味わっている感じがなんだかうれしい。

我が家にも桑が2株はえているがこちらはちっとも実がならない。
調べてみると切らなければ実るらしい。
そりゃそうか。実らない→邪魔→切る→ならないという連鎖をしていたのか。反省。
しかし、そのかわり?
我が家の桑には鈴なりにキボシカミキリがやってくるのでこれはうれしい。
桑の実取りではカミキリムシが落ちて来たためしがない。この違いは何なのだろう?

チューリップの木 2011.5.30

愛知の実家に帰省。
季節外れの台風で雨予報だったのに、なぜか気持ちよく晴れて来たのでこどもたちと実家の目の前の公園に行った。
noomにとっては小学~高校までを過ごした場所なので、懐かしい遊び場所でもある。
この公園の遊具近くにて、折からの風によって枝がいくつも落ちているのを見かけた。
変わった形の葉がついたその枝には大きな、チューリップのような花がついている。
ユリノキだ。

ユリノキは「百合の木」だが
中公新書の「日本の樹木」によれば別名ハンテンボクというらしい。
半纏木、独特な葉っぱの形を着物に見立てての名称らしい。
中国名でもその葉から四角楓ともいうらしい。
英語ならそのままチューリップツリー、どれにせよ印象的な名前だ。

noomは、葉っぱが開いた手のように見えて来たら、大きな花は頭に見えて来た。
そこで枝を持って指先でくるくる振り回しながら、滑り台から降りてくる子供たちに向かってぶつける
「なんでやねんアタック」をして遊んだ。
たぶん我が子には「ナンデヤネンボク」と伝わったはずだ。

大きな花からしてモクレンのなかまらしいが、そういえば匂いを確かめるのを忘れたな。
また次の機会に確かめてみよう。

こどもの頃の記憶をさかのぼっても、脇に咲き誇るレンゲツツジの蜜をなめた記憶はあっても、ユリノキの記憶が無い。
こんな目立つ花や葉なのに気づきもしなかったのだろうか。
とはいえ、うん十年前のその頃にはこの木たちもほぼ苗木か若木だったはずで、
花が咲くほど木も大きく無かっただけかもしれない。

ねえねえねえ 2011.6.3

今日の夕方の散歩にて。
集落のはずれの道端にて、tooが「ねえ、ポップコーンみたい!」
見たらなるほど、ちょっとくたびれた色がまさにポップコーンを道路にぶちまけたみたいだったのはニセアカシアの大量の落花。

小さな田んぼにて「あっヒルが泳いでいるよ」と教えた後、
別の田んぼを覗き込んで「ヒフはいないかなあ」

道端にて「ねえ見て、これタコのキューバン」。
赤く染まったスイバの穂、一つ一つが蛸の脚みたい。
確かにもうこれからはタコにしかみえなくなりそう。

こどもの視点、こどもの着想、こどもの表現はおもしろく、聞き逃せないなあ。

早春の音階 2011.3.21

 子供たちと3人で早春の大滝湧水近辺を歩いた。
道端のスイセンが今にも咲きたそうなんだけど、じっと寒さをこらえて身をかがめている。
時折、前方の杉の木からもわっと煙が、花粉だ。
寒いながらも春は着実にやって来ている。

水路の山側に広がる竹の森が、今日の強い風にこすれあって、そこかしこでさらさらと音を立てている。
その音の中から久々に聞く寂しげな冬の歌が聞こえてきた。
いかにも寒そうな竹が鳴らす、もがり笛の音だ。
実際今日は風が冷たくて風の弱い場所を見つけるのが難しいくらいだった。

三峰の丘からさらに初めて歩く道にすすむ頃には
すっかりヒエヒエ&甘えモードになったtooとリホチを2人とも前後におぶって前進、これは疲れた。
小さな丘を越えると,森を抜けた日なたにオナモミが生えていた。
よし、遊ぼう!二人を下に降ろし、持っていた膝掛けをマントにして、
おなもみを投げあってしばらくダーツ遊び。
リホチの髪にもオナモミブローチ。
さらに道無き道をすすんでゆく。
こども2人を無理矢理動かせるのはラムネエンジンだ。
途中、松林の中で立ち止まって、頭上一面の松たちが風に大きく揺れて
ざわざわざわめいていたのを3人で見上げていた。
うごめく濃い緑の隙間を激しく動く青と白色が眩しい。

さらにもう一息、歓声を上げながらついにカレー&UFOと合流、
大滝湧水にて今日のお昼はアウトドアインスタントラーメンを楽しんだ。

骨の川 2011.6.8

夕方家族で散歩。
本日は我が家のある集落を流れるその名も「流川」の上流に向かった。

いつも通る道から少し外れて川沿いの未舗装道路を進んでしばらくすすむと堰堤の上の広い河原に出た。
この辺り特有でもある花崗岩中心のの白い砂利が印象的だ。そこで車を降り、歩き出した。

そこからは先日の大雨の時のものか、道路脇の崖から道路上に落石多数。
期待していた雰囲気と違い、荒れた感じにちょっとコース選定失敗したかなーと思いつつ、
親としては崖に近づく子供たちに気が気ではない。
一本のコナラの木が崖っぷちで耐えていた。
根っこの一部が道路側でかなり露出していて、まるで地中の断面図のような様子に驚きながらゆっくりと進む。
エゴの花が咲き始めている。
こんな崖でも所々に鹿の踏み跡があるんだなあと思いながら「えっ」一瞬視界の端が気になった。

振り返るようにして踏み跡に半ば埋もれた鹿の角(若い)を発見!
そういえば今の時期は春先に鹿が落としたツノを見かけやすい時期だった。
10年ほど前、半分それを主目的として北海道旅行に行き初めて鹿の頭骨を拾ったことや、
でも落ちツノ自体は以来なかなか自分では拾えず、
数年前小淵沢にてカレーに先を越されて内心少し悔しかったことなんかを思い出した。

カシャーン。スイッチ入りました。
ホネ探索モード作動!
以降俄然道中に張り合いが出て来た。

その先は道路を沢が横切ったあと、次の堰堤に到着。この堰堤は大きくて要塞のように威容がある。
その上部は堆積した土砂が広がっているが、まだまだ治山工事してせいぜい10から20年くらいという感じで
広々とはしているが雰囲気的にはあまり落ち着かない。
そこからしばらくすすむと道は川沿いを離れてつづら折りに延びているので,
道が川から離れだすだすその前に本日のゴールとした。子連れは無理が出来ません。

ゴールから川の上部をのぞくと、今までと川の様子がかなり異なり谷は深く切れ込み、川は急激に渓流に変わっていた。
昭和30年代の大雨で釜無川流域は大水害となり、支流のこの川もかなり氾濫したらしい。
その結果、至る所に砂防堰堤が出来て今となっては下流においては川の魅力は見るべくも無いが、
ここから先がこの川の本来の姿なんだろう。
普段は水量もそんなに無い川だが、一旦大雨が降れば時に大量の土砂を吐き出す暴れ川。
扇状地地形の我が家のある集落も、その大きな力によって作られたのかと思うとなんだか感慨深い。
この辺りは日本を割るようにして伸びるフオッサマグナの通り道でもあるけど、
白い谷筋を見ていると今でも水は地をえぐってその骨を露出させようとしているかのようだった。

さて来た道を戻りながら、忘れた訳ではありません。
「あ!」
10mくらい先の土手上に目が釘付けになった(3秒)。
この時のnoomの動きはこれまでになく素早かったらしい(カレー談)。
かなり破損していたがシカの頭骨発見。
なんだかこの角度からだと「ムーちゃん」(オオムラサキの幼虫)の顔に似ていてカワイイ。
こちらも角は落ちているけど若い雄シカだ。

その先はさすがに発見は無かったが、すげーね自分。
グーグルの画像検索も顔負けの(骨限定)探索能力に内心自画自賛の夕方だった。

かわいい夜叉武士 2011.5.10

かわいい実がなるヤシャブシ。
それがなぜヤシャブシと呼ばれているんだろう?とカレーからの質問。

漢字で書くと夜叉五倍子。
ストレートな解釈としては「熟した可穂が醜い夜叉に似ているから…」とwikiや各種図鑑等にはあるのだが、どうもしっくりしない。
あの端正なかわいらしいともいえる実の「どこがいったい夜叉なんだ?」

というわけで再び「夜叉」を調べると、
夜叉とは、顔かたちが恐ろしく、性質が猛悪なインドの鬼神。仏教に取り入れられて仏法を守護する鬼神となり、毘沙門天の眷族、それゆえ人殺しや非道な行いをする者を夜叉とも形容する、とある。
全然イメージがつながらない。

しかし、「鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。また水との関係もあり、「水を崇拝する(yasy-)」といわれたので、yaksya と名づけられたという語源説もある。」
という説明もあり、強いていえば、このあたりのイメージが、河原に生えるヤシャブシとつながるのかな、
とも思えたけど、ちょっと強引な気がする。

名前の後半、五倍子のほうは古来から黒色染料の原料であるフシ(=ヌルデの虫えい)の代用品として
この実を染料資源として活用してきたことからのネーミングであり「武士」とはまったく関係がない。
「鬼神のような武士」だとそれはそれでかっこいいネーミングだけど、実物とはつながらない。
さらに蛇足すれば、「五倍子」は通常のヌルデの実とはまったく違う
大きくて異形の「実のような実」をよく漢字で表していると思う。
引き続き分からない「夜叉ってなに?」

それじゃあ搦め手で攻めよう。
「夜叉」と言えば山梨には夜叉神峠と言う場所がある。
ここの地名の語源にヒントがあるかも,と思い調べてみると、
井上靖のエッセイ:歴史紀行文集Ⅰ(岩波書店)「夜叉神峠」に
<前略> 昔、御勅使川の水源に荒ぶる神が住んでいて、悪疫、洪水、暴風雨などを司って、民を苦しめていた。里人はこうした災害を夜叉神祟りと呼んでいた。淳和天皇の時、朝廷は勅使を御差遣になり、水難防除を祈らせられた。峠の鞍部には夜叉神の祠が祀られた。それ以来御勅使川の名前ができ、峠は夜叉神峠という名になった。<後略> 
とある。
また岐阜福井県境にある夜叉ヶ池は夜叉と言う少女の名前が語源らしいが、
「大干ばつで困った村人の願いを蛇(=実は龍神)が叶えて雨を降らせた際、その生け贄となった娘」が夜叉なのだった。

どうやら「ヤシャ」には暴力的で破壊的な水のイメージ、そしてその後を豊かに再生してゆく力のイメージが常につきまとっている。
それならば川の氾濫後の崩壊地にパイオニア植物としてよく見られ、窒素固定ができるために痩せ地でもよく育つ、そんなハンノキのなかまに「ヤシャ」の名を与えてもおかしくなさそうだ。

名前一つでいろいろなイメージを巡り、楽しませてくれたヤシャブシだったけど、
今回の疑問から発展したnoomの持論は、実は本来のネーミングはもっと単純じゃなかろうかと思えて来た。
つまり「谷地(湿地)で手に入れられる五倍子」がヤシャブシの語源なのではなかったのではないか。
その発音の類似性から後付けで「夜叉」のイメージが結びつけられ、表記がそちらにすり替わってしまったのでは。
真相はいかに。

晴れ、ときどきくぬぎ 2011.5.13

新緑の空から、次々くぬぎが降って来た…。
本日、noomは初参加の親子遠足で、tooと一緒に県立科学館に行った。
館に隣接する遊具広場に子供たちのにぎやかにはしゃぐ声が広がってゆく。
森の奥に続く小径を見かけて、
「こんな道を散歩できたら楽しそうだねえ」とtooがつぶやいた。
超個人的に今日一番のうれしい一言。
「ええ、ええ、どこまでも一緒に行きますとも」
心の中でnoomはうれし涙を流していた。

閑話休題。
昨日までのぐずついた天気から一転し到着時は風が無く、妙に暑く、
じりじりと太陽が照りつけていたが、昼過ぎから、急に風が強くなった。
すると、まわりに生えているクヌギの木々から、若葉が枝ごとどんどん落ちてきた。
その長細い葉の形は吹き流しのように風になびき、風の力をやり過ごしやすくなっているが、
さすがに今日の強い風には今年伸びはじめた茎の部分が耐えられなかったのだろうか。
今年葉を広げはじめたばかりなのでその緑色はやさしい色をしている。

いくつか枝を拾ってよく見ると、いたいた。
クヌギの葉にこれでもかと姿を似せているカギイロスジアオシャク(かな?写真参照)の幼虫を初め、
イモムシ、ハムシ、カメムシ、エトセトラ。
さらに周りをよく見れば、そこかしこに
落下して来た虫をせっせと巣に運ぶアリ達の姿。蜂の姿。
何度となく地面に降り立ち、虫をくちばしにくわえて去ってゆく鳥たちの姿。
tooも虫眼鏡を片手に興味深そうにいろんなものを覗きまわっている。

緑の中を駆け回り、遊ぶ,笑う、転んで泣く…、
元気な幼児たちの姿を見る大人たちの顔はみな笑顔だった。
そして思いがけない出来事は、森にすむ親たちにとっても、
「大漁大漁、今日は楽できるわー」と笑顔だったに違いない。
子育て真っ盛りの新緑の森。たいへんだけど子育ては楽しい。

ちるちる、みちる野 青いもり 2011.4.24

 先週、新潟からやってきたバクバクさんたちと花見をしたころ、
まだそこの桜は九分咲きといった状況だった。

そして今週末、「蕪の桜」ははまさに見頃。
特に日曜日は朝から気持ちよく青空が広がり、
まだ白い甲斐駒ケ岳や八ケ岳、富士山を背景に、ひらりはらりと少し強い風に吹かれて桜吹雪が舞い散って、
本当に美しかった。
桜並木に立ち、次々と風に流れてやってくる花びらをつかまえようとするが、
こんなにたくさんあれど、一枚も手にすることはできなかった。

先週あれほど美しさを誇っていたコブシの花は、あちこちで少し疲れたような色合いに変わり、
今週は桜とミツバツツジの花が輝いている。
あっというまに花の季節は終わるが、散りゆく花と入れ替わり増えゆくみどり。
2週前は柳の淡いみどりだけだったのが、いつの間にか、
本当にいつの間にか森は、その色あいを増やしていて驚かされる。
その満ちてゆくみどりから見れば、散る花はさみしい終わりではなく
これから始まるドラマの幕開けを告げる合図、舞台効果なのだろう。
青葉の満ちる、いのちが躍るような季節はもう間もなくだ。

両手を必死にのばしても花びらを手にすることはできなかったけれど、
気づけば春はここにある。
まさに春の幸せの中に僕はいた。

とりのこ谷めぐり 2011.5.5

こどもの日、noomが以前から気になっていた場所へ、家族でたんけんにでかけた。
森の中にある、小さな小さなその池には伝説がある。

ある冬の日、氷にとざされた池に舞い降りた一羽の美しい鳥を、村人達が捕え、食べようとした。
ところが、その時居合わせた人々はその場で急に眠り、不思議にも「新しく井戸を掘っても水は出ない。
なお、新しく井戸を掘るとその家は火事になる」という同じ夢を見た。
驚いた村人達は池の中に祠を建てて鳥の霊を慰めたのでその後のさし障りはなかった。
という話なのだが、どうも後世に修正されている気がする。

noomはこの周辺の土地の、昔からの水不足と水利権を暗示するような話なのではないかとまずは思ったが、
しかし現地は、小さいながらも沢のすぐそばであり、水不足?には大きく疑問符がつく。
話の中で死んだ鳥が実は妊娠していたともあるが、鳥が妊娠しているというのもおかしな話だ。
というわけで真相は川の本流から「取り残」された池なのではないだろうか。
謎は残るが、雰囲気のあるスポットには違いない。

その先の谷にすすむと、すぐに小さな沢が流れていて道は途切れる。
でも、わがたんけん隊は道無き道を進んでいく。
とはいえ沢に沿って昔は水田が続いていた気配があちらこちらに残っているし、
そしてまだまわりの草もさほど伸びてはいないので、幼児連れでもどこでも歩きやすいのだった。
あちこちにたくさんのシカの足跡があるのでそれをたどってゆく。
道中はずいぶん年季の入った藤のツルがそこかしこに伸びていて、小川をまたいでいたりしているので、
カレーはUFO付きでプチターザン気分を味わっていた(キケン)。
川をまたいだ倒木の上や風情ある枝振りのクワの木の上にのぼってtooもご機嫌だ。
リホチは土色のアマガエルのうしろをぴょこたんぴょこたんと追いかけたり、
イノシシのうんちをむんずとつかんだり。

沢のわき、杉の植林地との境あたりでわいわいとお弁当をひろげてしばし休んだ後、
たんけん隊はさらに道無き道をすすんでいった。
谷底の平地部分はだんだん細くなり、ついに小さな堰で行き止まり状になってしまった。
あとは斜面に続くシカの作った道を頼りにするだけ。
急斜面をトラバースするように続くシカ道の脇には、
葉を広げはじめたクロモジが昼過ぎの暖かい光を浴びて、
まるでみどりのチョウチョが音もなく一斉に舞いあがったかのように輝いている。
あたりには人の気配は無く、ただ自然の音と子供たちのはしゃぎ声のみ。
GWなのにね。静かでいいね。

尾根に向かうと、途中から道はようやく人の通る気配が見えてきた。
キツツキの飛び去った尾根を越えると、道もさらになだらかにはっきりとし、
tooだけでなくリホチもたったかと先に駆け出してゆく。
野山を駈けるこどもたちの姿を見るのはいつもうれしい。
すぐにため池に着いた。
騒がしい珍客到来に驚き、ゆうゆうと数羽の大きなアオサギが、そしてせわしなくカモたちが飛び去っていった。
池のほとりでみんなでこいのぼりの歌を歌って、柏餅をほおばる。
池の水面に立ち並ぶ葦の枯れ葉は風にそよぎ、自然の鯉のぼりだね。
帰り道、いつもなら後半「だっこだっこ」とうるさいリホチが、妙にはしゃいでどんどん駆け出してゆく。
さらに旅のシメには思いがけないサプライズ、一面のタンポポ畑が広がっていた。

とりのこ谷は、いい感じに喧噪や開発からとりのこされていて、どきどきわいわいのプチたんけんが楽しめた。
暑くもなく寒くもなく、途中ダダコネややんちゃもなく、帰ってからみんなでおひるね。
我が家らしいじんわりとした休日だったね。
また行きたいね。

こぶしざわの春 2011.4.16

「こぶしの花が好きだ」と書いたのは新田次郎ですが、
このところ、近所のコブシが花盛りになってます。

まだ森の木々は芽吹き遅く、その褐色のなかでコブシが咲き誇っていると遠くからも目立つのです。
山桜も咲き始めているのですが、コブシよりは淡い感じ。
モクレンと違い象牙色の花や、ホウノキより花がこじんまりと清楚なのも好感度が高いです。

ところで「小淵沢」という地名の由来は、
コブシのたくさん生えている沢がどこかにある(あった)からに違いないとnoomは思うのです。
そこを見つけてこの時期に歩いてみたい!

春を告げる花、コブシ。
本日、「田打ち桜」という別名があることを知り
さらに春らしさを感じました。

おひさま島 2011.3.31

朝方のぽかぽか陽気が,昼なぜか雲来りてなごり雪舞う寒空に。
そんな中、tooとリホチを連れて散歩に出る。

集落を抜けると釜無川に向かって田んぼが広がっている。
冬はこの広い谷間を常に北風が吹き抜けているので、さすがに田んぼに出ると寒い。
周りの景色と言えば枯れ草色の中、風を避け、春を待つロゼットが目につくばかり。
と思っていたのだが区画整理された階段状のその土手の、
法面のここに、あそこに、一面枯れ草色の風の海に浮かぶ緑の島があった。
オオイヌノフグリ、オドリコソウ、ヒメオドリコソウ、イヌガラシ、ナズナ、
そして僅かながら日本タンポポ。
花の咲いているところにしゃがんでみると風が弱まりぬくぬく、
さらに姿勢を低くすると日差しの暖かさでぽかぽか。
よく観るとそんな島には決まって花の上をナナホシテントウが動き回っていた。

薄着のくせに「寒ーい」といいながら、鼻水をたらしつつ、
そんな春との出逢いを楽しんでいる子供たちを連れながら、
このひだまりパワーをいち早く感じられるのは、
実はより地面に近い位置に生きるこどもたちなんだ、と気づいた。

春は足下から点々と広がってゆく。
緑や赤紫の丸いロゼット。小さな花々のそのまた小さなつぼみたち、眩しいくらい赤い天道虫。
小さな春の島で小さな小さな春の太陽たちが待っている。
もうすぐそこに来ている大きな春を待っている。

お彼岸随想 2011.3.21

 今日は雨降りのお彼岸、自家製ぼたもちを家族で食べた。
作る時期によって名前が違うのがぼたもちとおはぎ、とはいえ、どこが牡丹でどう見たら萩なんだろう。答えを知っていてもなんとなく疑問だった。
粒あんとこしあんの違いでは?とも思っていたが、昔はそれもあったみたい。ではどちらが粒あんでどちらがこしあんなのかといえば、ぼたもちがこしあんなのだそうだ。なぜかといえば、秋の収穫したての柔らかい小豆と違い、春の小豆は皮が硬くなっている、そのため漉して使うため。なるほど。
ちなみに春と秋だけでなく、実は夏と冬用のネーミングも持っているらしい。夏は「夜舟」、冬は「北窓」。なんで?と言えば、ぼたもちは餅と違いお米を搗かないので大きな音がしない→いつ搗いたか知れない→いつ着いたか知れないのは夜の舟。では北窓は。同じく搗き知らず→月知らず、月の見えない窓といえば北の窓。というなんとも洒落っ気のあるネーミング由来になるほどとうなずいた。
・・・・大地震からすでに1週間過ぎている。余震や停電や被災地の心配をしつつ考える、今自分にできることしないといけないことは何だろう。一つの答え:その間家族で何回も近所を散歩した。寒いながらも道端に、枝先に、そこかしこに春の気配を感じながら、いつものように散歩した。「いつも」をまずは取り戻すのが大事と思う。みんなの「いつも」が早く取り戻せますように。
今度の地震でも中越の時も一番感じるのは、自然の中における人間の世界の小ささ。だって地震のあと余震や停電で途方に暮れる下界をよそに、恐ろしいほどに変わりなく美しい星空。青空。山々。自然は圧倒的に凄い。大きな自然の力になす術もなく飲み込まれた多くの人たち。想像するだけで胸が締め付けられる思いだけど。今も暗く寒い中、耐えてる人たち。今は何も手を差し伸べられなくてもどかしいけど。
それでも春はやってくる。ここにも、そして被災地にも分け隔てなく。それもまた大きな自然の力の一つ。
こちら此岸には迷いも煩悩も苦しみも悲しみも多く、生きてゆくのはなにかとたいへんなのだけど、でもそれゆえに春が来るのがうれしかったりすることは忘れないでいたいし、そのうれしさを伝えていきたい。

落ち葉プール 2010.11.20

 カレーのやっている冒険遊び場にて、今日は枯れ葉のプールができていた。
事前に構内で集められた(不要な)落ち葉がたくさんの大きなゴミ袋に入れられ、一カ所に集められていた。それを使って、ぐるりと輪に並べて壁にして、あまった袋の葉を真ん中にがさがさ入れればプールのできあがり。作るの簡単、落ち葉やこどもの人数に合わせてフレキシブルに可変できる、しかもやわらかく痛くないというメリットがあり、やっつけで完成させた割りにはいいデザインだなあとおもった。以前木の枠+シートで枯れ葉プールを作ったことがあるが、これが結構管理が大変だったのだ。
さて、プールを見ただけで興奮気味のこどもたち、葉っぱをかけたり、かけられたり、ふちにある切り株から、飛び降りてみたり、その乾いた柔らかい感触をみんな体で楽しんでいる。
こどもたちに混じって枯れ葉の中に埋もれてみれば、かさかさと暖かい。tooもリホチもどんどん葉っぱをかけてくる。静かな森の中で、落ち葉に埋もれて耳を澄ますのもいいものだけど、子供たちの歓声を遠くに近くに聞きながら空を見上げるのもまた楽し。

しあわせを運ぶ舟 2010.11.10

 秋深まる先日、家族でまたまた近くのヘイクボにでかけた。今回はいつもと違う山道を歩いたが、その下り道、幸運を呼ぶと言う、けさらんぱさらんを見つけた。とはいえ、このけさぱさは正体不明ではなくガガイモという蔓植物の綿毛だと知っているので辺りを見回すと、すぐ脇の灌木に,本体があった。サヤの形は特徴的な少し角張った紡錘形。じつはサヤが開く前の状態を見るのはnoomも今回初めてなのだった。少し黄緑も混じった奇麗なさやは、熟していると半分に割れているが、その中に,整然と種が格納されている。そっと種を引き出すと、瞬く間にふんわりした綿毛が開くのはとてもおもしろいので、たちまち子供たちに引き出されてしまった。秋の山道に、たくさんのけさぱさがフワフワと漂ってゆく。そして取り出したあとのサヤを見てtooが、「船みたいだね。」といった。たしかにそういわれればシーカヤックのように美しい形をしている。幸運を呼びこむためにも、まだ未熟なさやをいくつか家に持ち帰ってみた。
ところで前から「ガガイモ」って変わった名前と思っていたが、調べてみるとちょっとおもしろい。古名はカガミ、もしくはカガミグサというらしいが、なるほど、カガといえば蛇の古名。蔓であることやこのサヤの細長い形は蛇っぽいイメージがある。またあのけさぱさは印鑑用の朱肉に使われていたらしい。意外に人と関わりが深いんだなあ。そして特に興味をひいたのが日本書紀の中でスクナビコナが乗って来た船が天之蘿摩船(あまのかがみのふね)と呼ばれているが、これが「白斂の皮をもって舟となす」つまり「ガガイモの実を2つに割った小さな舟」のこと。とある。スクナビコナは非常に体の小さい神と言われているので、小さき舟のイメージが掻き立てられたのだろう。古代のプリミティブな感性とこどもの感性は同じだった訳だ。
またさらに脱線すればスクナビコナは「鵝(ひむし・蛾)の皮の服を着ている」ともある。ガの皮でできた服と言えば思い出すのはミノムシ。その蓑はとても丈夫なので、たくさん集めてチョッキを作ってみた人もいるとか。こちらもガガイモと同じように紡錘形で、内側がすべすべしているので関連づけられたのかもしれない。とすると、日本書紀のこの部分、今日のような晩秋の自然の中で物語が生まれ、語り継がれていたのかな、等と空想がふくらんだ。ともあれ、落ち葉降り積もる中で家族ゆっくり歩く秋のひとときは、それだけでとても幸せなのだった。

夜の野分 2010.11.1

 10月月末にやって来た台風。待ち構えていたら風もほとんどなく、強い雨が降っただけだった。そのかわり、スッキリ台風一過とはならず、翌日もなんとな~く曇っていた。内陸部は台風のドキドキワクワク感が薄いのがある意味残念ではある。その夜の帰り道、風と急に冷え込んで来たのとあわせて葉っぱが落ちたのか、ことのほか大量の落ち葉が舞っている。それがいくつもの固まりになりながら、大きさを変幻自在に替えながら、まるでいきもののようにざーっと路上をあちこちに向かって這っていた。ちょっとなかなか見られない不思議な光景だった。
夜の風、夜の雨、夜の雷、夜の雪。昼間と同じ気象現象のはずなのに、夜だとどこかが何かが違う。なぜだか静かな,しかしとても大きな力を感じる。少し怖くもある。夜の中では人は、ただ耳を澄まして待つしか無いからだろうか。そういえば、新潟での地震の時のその夜、余震が続く中、見上げた星がとても奇麗だったことをふと思い出した。動く自然、動かない自然、人の力の及ばない自然を目の当たりに感じられやすいのは、夜の持つ力かもしれない。
翌朝、八ケ岳も駒ヶ岳もついにうっすら初冠雪。またぐぐっと冬に近づいたのだと気づかされた。しかし、あれほど這い回っていた「葉っぱのいきもの」たち、本日はすっかり姿を潜めていた。このあたりの紅葉はまだもう少し続きそうです。

ハチアワセ 2010.10.21

 仕事場にカレーから何度も携帯に電話がかかってくる。なんだなんだと思って聞いてみると、スズメバチに刺されたので対処法を教えて欲しいとのこと。友達たちと渓流に遊びにいっての帰り道。橋の上にてスズメバチがたくさん飛び交っていて気をつけなきゃ、と思っていた矢先のことだったそうな。幸か不幸か、レギンスを履いていたことと、ハチを振り払ったり潰そうとしなかったので、浅く一回だけ刺されただけで済んだらしい。夜に患部を見てみると、刺されたところは赤く少し腫れ、その周りが、結構大きくこわばった感じになっていたので薬を塗った。アナフィラキシーショックが怖かったらしいのだけど、とりあえず腫れと傷み以外は何ともなかったらしい。刺したのがオオスズメバチじゃなくてよかった。こどもたちじゃなく、同行の中で一番ハチに対して冷静に対処できる(と思われる)カレーが刺されて良かった。いや、良くはないんだけど。
という事件の数日後、冬に備えて家の外回りの窓ふき等をやっていたところ、ハタキをはたいていた手が思わず止まってしまった。軒下の高いところに「あんなところに蜂の巣城」暖かいのにハチたちが全然動かないのは,巣の第1陣出産直後だったから?その日はそっとしておいて、翌朝noomがキンチョール片手に仕方なく急襲した。ハチは薬に弱く、悶えて苦しみながら死んでゆく様が見ていてつらい。ごめんねと謝りつつあとで図鑑で調べたら、こちらはセグロアシナガバチだった。
さらに数日後、仕事で森の中に団体を案内していると、森でせっせと何かをしているおじさん2人発見。なんだろうな茸採りかなと周囲を見て見ると、点々と魚の干物がぶら下がっていた。この辺りでよく見かけるヘボ採り用の仕掛けだ。ヘボ=クロスズメバチの幼虫は美味しいらしいが、まだ食べたことはない。野山を駆け回り巣を探り当てるという、「へぼ採り」は機会があれば是非体験してみたい。
この時期、スズメバチを筆頭にハチの動きが活発になる。それは冬に備えた準備活動でもある。ちなみにハチアワセは蜂合わせではなくて鉢合わせと書くのが正解なのだが、この時期はカレーみたいに出会い頭に刺されることが多いようなので注意したい。

グリーンモンスター 2010.10.8

 秋の七草、クズ。葉っぱは野あそびに、蔓はリースに、根っこは葛粉や葛根湯に、昔から活用されて来た身近な植物。その成長力や花の美しさを買われて、緑化植物や園芸用としてアメリカなどに持ち込まれたものの、雑草化して大繁殖。その威力からグリーンモンスターと呼ばれて久しく、今ではアメリカ南部では見慣れた風景にまでなっているらしい。最近、我が家のまわりではアレチウリがはびこりはじめている。去年までは一面クズだったのに、今年はその上に乗っかるようにアレチウリが茂っている所も目立ってきた。あのクズを差し置いて繁殖するのだからすさまじいと言わざるを得ない。
お隣の長野県では県をあげて駆除に取り組んでいるらしいが、繁殖力が旺盛で、なかなか効果が現れないらしい。千曲川流域もそのひとつ。
ところが先日、新潟に行ったが、飯山あたりから先はアレチウリが目につかなかった(詳しく見ていた訳ではない)。高柳町までいくと、さすがに山間地のためか、10年前と変わらないクズの茂りっぷり。正直ほっとした。冬期の積雪のためなのだろうか?
建物や町並み、住んでる人が少しずつ変わってしまうことはいた仕方ないとしても、見慣れていたはずの風景、木や草がすっかり別のものに変わってしまったら、なんだか寂しい。
アレチウリは「荒れ地にも生えるウリ」というネーミングなんだろうが、「緑色をした荒れ地を作り出すウリ」だとnoomは思っている。一見緑豊かに見えていたとしても、単調すぎる自然環境はもろく、そしてつまらない。

ひえのそこさんぽ 2010.9.20

 いきあたりばったりで、富士見町の散策路に家族でお出かけ。
稗の底集落跡地はあまり記録が残っていない点で富士見町のミステリアスな場所とされている。
シカ柵に鈴なりのトンボと遊びながら、牧草地を進む。
ゆびのさきはもちろん、自分の持っている棒のさきに、トンボがとまるとなんでこんなにうれしんだろうね。
古い祠の前でお弁当を広げたあとは、これまた外側だけ残った古い切り株にこども二人は入り込んで喜んでいた。
川が空を飛ぶ。
湧き出る水は透き通っていて美しい。
リホチはトンネルの木がよほど気に入ったらしく,得意げにまねきいれてる
Tooは家からこの散歩終了まで、ずっとすっかりウルトラマン世界の隊員として、自然の中で怪獣と戦っていた。

狸歩知 2010.9.30

 今朝起きたらやはり雨が降っていた。やはりというのは昨日の帰り際、駅からさほど遠くない町中の路上でタヌキが轢かれているのを見て、さらにループ橋近くでは久しぶりにイタチが道路から茂みに飛び込むのを見たからだ。タヌキやキツネ、イタチにハクビシンなど雑食&肉食系動物たちが運転の際に道を横切ったりするのを見かけるのは、経験的にとりわけ雨の直前の場合が圧倒的に多い。普段と違う空気や風、においに動物たち自身が油断しているのだろうか、はたまたそんな油断した獲物を狙うために活発になるためなのか、定かではないが、タヌキについては確実に後者だと言えそうだ。
彼らは英語でラクーンドッグと呼ばれているが、田んぼの近くのような湿った場所を好む。そこはどんくさいタヌキでも簡単につかまえることができる、カエルなどの食料が豊富に見つかる場所だ。さらに雨が降り始めるともっと好都合、雨でぬれ始めた道に飛び出して来たカエルは、茂みの中で探すよりもはるかにつかまえやすい。ラッキー!こうしてタヌキは昔から餌を追いかけていたのだろうが、不幸なのは現代の田舎では時折車が高速で通りすぎること。ここでキツネたちならさっと身を翻して茂みに隠れるところだが、彼らは、トコトコ逃げたりその場で立ちすくんだり。結局轢かれてしまう。
前に住んでいた新潟では、秋になるとほんとうに至る所で臨終タヌキに出くわしていた。こちらではほとんど見かけないのは、基本的に乾燥した場所が多いからなのかもしれないし、標高も高く、里というよりも山に近いのかもしれない。そういえば山梨に引っ越したばかりの頃はあまりのタヌキ(の死体)の少なさをカレーとともに嘆いたものだった。 タヌキは文字通り里を徘徊するけもの。noomにとっては里の豊かさを知り、里に生きるいきものの代表。ちょっとニブいように見えて、一見地味でも、なんだかにくめない、愛嬌があるヤツ。noomの大好きないきものの一つ。

朝利〜早起きは三文の得 2010.9.10

 田中一村展を見に行くため、千葉にでかけた。ラッシュを避けるため千葉に到着したのが朝8時。さすがに美術館開場までは時間があるため、ポートタワーにでかけて海を見ながら朝ご飯を食べることにした。折しも台風接近ということで、ぽつぽつ雨が降っているが、木の下ならしのげる程度。家族でコンビニ朝食を食べていると公園だからか犬連れが多い、これは当然。そして前方の波打ち際にずいぶん人がいるなあ~海の中に足をつけてる人も、えっ肩まで入ってる人がいる?見たところ酔狂な若者じゃなさそう。どんどん人が増えている?なにしてるんだろう?
というわけで浜辺に近づいてみたら、みなさん道具を持ち込んで貝をつかまえている様子。せっかくなので歩くだけでも、と裸足になってみる。ねっとりとした泥でもなくさらさらの砂でもなく、しっかりとした細かい砂地。まあ、道具が無いと見つからないだろうなと試しに足で砂を掘ると…おやまあ、出てくる出てくるアサリさん。こどもでもすぐに両手一杯になるくらい、至る所に大小のアサリが潜っている。こどもたちも興奮している。水たまりに集めた貝を入れておくと、見ている間にどんどん砂に潜ってゆく様子もおもしろい。
あらためて気づいてみれば、まわりの砂には無数の穴が空き,さらによく見れば穴の入口の砂がかすかに動き、その中に誰かがひっそりと潜んでいることをそっと教えてくれている。それにしても(異論はあるかもしれないが)仮にも県庁所在地駅から5分のところに、人工埠頭のこんなところに、こんな気軽で意外な自然との関わりがあることに正直驚いた。
このタイトルを考えてたときアサリの語源が気になってあとで調べてみた。浅蜊〜「浅い砂利に暮らしているから」というのもあるが、本日の体験からすると砂をかけばごく簡単に採集できるこの貝には「漁り」がふさわしい。その日食べる分を朝に採集するから、なんて言うのは関係なかった。残念。

ライジャケデビュー 2010.8.30

今日も暑い。昼から家族で川にゆく。今日は遅まきながら買ったライフジャケットの初使用日。Tooやリホチのライジャケはまだまだダブダブなんだけど,着ること自体がうれしそう。川に入って浮かぶ楽しさを感じてもらうために膝丈ぐらいの水深でプカプカキックの実演をしてみるが、浮き輪と違いまだちょっと不安があるらしくなかなかToo一人ではできない。リホチはジャケットがゆるすぎるのでしかたなく首の後ろの取ってを掴んで水上引きずり回しの刑…声を上げて大喜び。2人を同時に引っ張るとTooはうれしがりながらも少し緊張しているのがおもしろい。ごくごく浅瀬の部分には河原の柳の枝が張り出していて程よい日陰。寝転ぶと天然のウォーターベットだ。上を見ていると青空にときどきヤンマやアカネたちトンボの仲間が飛んでくる。それから少し上流にも行ったが、たったの一時間、今年の水遊びの中でも本日は一番水温は高めで、しかもほとんど水に入っていないというのにふと気づけばTooの口元はガチガチ、リホチもカレーも体は冷えてしまっている。こどもの温度変化はやはりおとなよりも激しいなあと思いつつ、川からあがる。
多分今年最後の川遊び。最後にはTooはプカプカキックができるようになっていた。来年にはリホチもジャケットサイズがちょうど良くなっているだろうか。鮮やかなジャケットを干しながら、すでに来年が楽しみになっている。

ひさびさ八ケ岳 2010.8.24

 本日は沢登りにいく。noomは初めてなのと新調の鮎タビの初使用でもあり,結構ドキドキしていた。出発はとある山小屋のすぐ先、小屋の水源にしている沢に入っていく。気温も高いせいかそんなに水は冷たくない,と感じていたのは足先だけ濡れていたからであって、ももぐらいまで水の中に入っていると急速に冷えていくのを感じ取れる。タビは結構踏ん張りが効いて履いてて安心と思う反面、効かないところはやっぱり滑る。沢は最初から小さな段の連続で、時折小さな滝が現れる。滝を行きたくない時はすぐ横を巻いていけばいいのでこれは安心。苔が多いので、フェルト底で踏みつけるのも少しためらった。沢周辺は八ケ岳らしい黒っぽい岩と赤っぽい岩が多く、ところどころで強く圧力で変形し、板状に亀裂が入ったりそこから崩落している崖もあった。沢の感じとしては、横谷渓谷に雰囲気が似ている。沢に生えている木はなぜかほとんどが細い柳とハンノキで、終盤でようやくモミが現れる。小さな谷で水量もさほど無いのにせいぜい直径20センチほどの木しかないのが不思議で、大きく崩壊があった新しい谷なのかなと思わせた。その割には石の上には苔がよく発達し、所々にトリカブトとアザミが生えて秋らしかった。終始、2~4mくらいの滝ながら、ナメあり、溝あり、しぶき浴びながらの登り有りで恐怖心を抱くこと無く沢のエッセンスを味わえるいい沢だった。最後は30mくらいの滝を高巻いておしまい。
山小屋に戻って振り返ると、阿弥陀岳がよく見えていた。このアングルは…見覚えがある。大学の時、冬にここに来たような来なかったような。記憶はあやふやだなあ。そして小淵沢から30分でここにたどり着けることに改めて気づかされ、こんなに山に近くに住んでいるのに山から遠くなってしまった自分に少し反省した。

午後四時の白粉花 2010.8.18

先日家の電灯にやって来たチビカブトはtooにとってはあこがれの大事なもの。というわけで、なぜかそのケースごと持ちだして親子三人で夕方ご近所散歩のはじまり。
日は傾いているもののまだ暑くミンミンゼミがやかましく鳴いている。まだ青い銀杏がぼとぼと落ちている裏の神社を通り、今日はいつも通らない川沿いの路地に入ると、あ,こんな近くでたんぼやってたんだ。家の周りを流れる水路は傾斜地なので結構勢いがいい。tooもリホチも水が大好きなので水が白く泡立ってたりすると興味津々、こちらはひやひや。特にリホチは慎重派ではないので離れたところで水をじっとみていてもドキドキする。リホチは脇の家の、壁の向こうからしきりに聞こえる犬の鳴き声がとても気になるらしい。tooはどこから持って来たのか手にした棒を水の中に入れ、水を切るのを楽しんでいる。それから2人は大きな石によじ登ってきゃっきゃとはしゃいで遊んでた。
あっ、こんなところに派手にピンクのオシロイバナ。小さい頃、我が家の庭にも夏に咲いていたことや、夕方そこにスズメガがやって来た記憶を思い出す。でも本日はこどもの頃には知らなかった(この前、本を読んで仕入れたばかりの)「おしろいあそび」にチャレンジしてみた。黒いタネを割って、中の白い部分を取り出して、つぶして、顔に塗る、それだけの単純遊びなんだけど、いろんな気づきがあった。黒くて丸いそのタネは地面に落ちているのは固いが、まだ草についているのは意外に簡単に割れる。割ってみると皮は厚く、中に入っている白い部分も大きくて極小のライチーを思い出させる。てっきり割ると粉が直接入っていると思っていたので少し意外、でも確かにつぶしてみると奇麗に粉々になり「おしろい」に変わった。不思議。ちなみにあまりに未熟だと粉になりにくいようだ。tooとリホチの顔に塗ったりしてひとしきり遊んだ後、お母ちゃんにもあげようと、お土産種を持って家に戻った。noomは持って来たタネを家の植木鉢にこっそり埋めてみた。うっかり咲いたら楽しいな。
…ちょっと気になったので、この粉の正体について調べてみた。粉になる部分は胚の部分であり、そこの中のでんぷんが粉になるらしい。なるほど、だからさらさらなのか。さらに!オシロイバナにはトリゴネンという毒が全草にあるのだとか。症状は下痢ぐらいらしいが、あまりリホチには触らせないようにしよう。ついでに英語でこの草はFour o'clock つまり午後四時の花と呼ばれているという。夕方に咲き出すからだけど、たしかにこの花には夕方遊びながら下校してるこどもの姿が良く似合う。